「犬と猫と人間と」しろえもんと二人のインストラクター
犬と猫と人間と - neko73のつめとぎ
ドキュメンタリー映画「犬と猫と人間と」を観て書いたこちらのエントリなのだけど、大きな間違いがあることを指摘して頂いた。
監督が通い詰めた愛護団体でトレーナーを招きしつけを行った「しろえもん」の部分なのだけど、そのトレーナーに関して、最初に出てきた叱る方法の方を山本央子氏として紹介していたが、全くの別人である。
少し考えれば分かることで、叱るトレーナーに関しては非難が殺到することを避ける為か映画のパンフレットには載っていない。記憶が薄れないうちに紹介しようと急ぎ、ロクに確認もしないままパンフレットの丸写しで終わらせてしまったというのは酷い失態であり、反省しなければいけません。(丸写しにしても、セラピードッグに関わる様な方であるのにしつけ用の首輪で体罰を行うようなことがあるか考えれば気付いたはずで、重ねてマヌケと言わなければならない。)
全く逆の方法を用いる方と取り違えていた山本氏には大変失礼致しました。コメントで指摘頂いたホーリードッグ氏に感謝します。
また私は叱るしつけについて、
しろえもんの態度から考えると、叱る方法は番犬を作るには向いている。主人に従う一方で他の人間には従わず、自分の仲間と認めない人間がテリトリーに入ってくれば警戒と敵意で迎える。そういう犬を育てるにはあの首輪が最適なのではないだろうか。
と書いているけれど、それも妥当ではないとの意見を頂きました。
たとえ外敵に吠え立て遠ざけるのが目的の番犬であっても飼い主との信頼関係が無くては上手く機能しないという考えは当然でしょう。またしても浅はかですね。
苦しい弁解をすれば、叱る方法でも番犬ぐらいはなんとか務まるかもしれないし、人間の側が犬に配慮しなくて良いので気を使わず機械的に番犬を「生産」できるという程度のことなら言えるかもしれない、などと思うのですが、それを「向いている」というのは明らかに無理です。「なんとか使える」レベルの方法ではやはりダメでしょう。
二人のインストラクター
「犬と猫と人間と」の飯田監督はパンフレット掲載のインタビューでこう言っている。
その方に対して、文句を言うつもりはないんです。保護している犬に対して、それを依頼しているのは、愛護協会ですから。でも、この体罰式のしつけに対して、僕はやっぱり、ただ観察するだけということはしたくなかった。それは、この映画を見るお客さんに対して、自分の姿勢をそう見られたくない、ということでもある。言い訳というのか、僕はこれを納得していない、ということを表明しておきたかった。体罰式ではない、ほめるしつけの方を紹介して、できればそっちに切り替えてほしいと、意見を言わせてもらいたかった。
では、その褒めるしつけをする二人のインストラクター、山本央子(やまもとなかこ)氏と藤本聖香(ふじもときよか)氏とはどういう方なのだろう。
こちらの方は山本央子さんを講師に招いた「動物活用プロジェクトセミナー」に参加し、その様子を伝えている。
適性がすべて: 笑う犬のふやし方
「米国デルタ協会認定セラピーアニマルハンドラー」である山本さんはセラピードッグの第一人者であるようだ。ドッグセラピーを行う為には犬が人間を信頼していなければならない為、その教育方法も穏当なものになるのが当然というワケですね。
人間にとって好ましい行動には報酬(→強化)を。好ましくない行動には罰(→消去)を。ただし、「罰」というのは決して体罰ではなく!体罰を与えるとその人を避けるようになる最悪の結果となります。山本さんは「無視」をいちばんオススメしています。
犬が人間を恐れるようになってしまえば、目的が上手く果たせないばかりか危害を加える可能性も出てきてしまう。だからセラピードッグに体罰はご法度だろう。痛みを与えるようなものでなくても、恐怖を感じさせる方法で罰を与えてはいけないことになるハズだ。
犬の勉強を始めてから、セミナーや書物でたくさんのプロやアマチュアの方のしつけ方法論に触れてきました。みんなそれぞれ少しずつ違ったことを言います。犬という生き物を理解するための根底は同じなのですが、末端の部分は見事に違うんですよね・・。
結局は、どれを取るか決める、ということなんですよね。自分の思いと、それぞれの犬に合った方法を自分で決めるしかないのです。罰ひとつとっても、無視がいいのか、ひと言叱るのがキクのか、天罰系がいいのか・・。目の前にいる犬の観察と判断です。あとは経験なんですね。
でも、今回の山本さんの理論はわたしにとって、かなりしっくりくるものでした。この方の方法をウチのアリの今後のトレーニングに当てはめてみたいと思いました。
最後に、山本さんが特に強調しておっしゃっていたこと。
「飼い主のことが大好きな犬に育てましょう」!!
「行動の強化と消去」がしつけの基本となっている。犬がどうしたいと思うのか、人間が望む方向に動機を与えて誘導する。望ましくない行動には罰も与えるが、それによって人間を避けるという、また別の望ましくない行動に繋がるのが体罰であるから体罰はやらない。犬と人間の望みが一致すればそれで上手くいくハズなのだ。
あなたの犬のこと、どれだけ知っていますか: 笑う犬のふやし方
飼い主さんがもっと自分の犬のことを知り、信頼関係を深めてくださいと。自分の犬をしっかりコントロールし、行動を予測し、ストレスサインが出たらそれを100%回復させる術ををもっていなければならない、ということを重ねて言っていました。犬にしてみれば、目の前に戸惑うものがあっても、「この人がいて励ましてくれればこわくない!」と思えるようなリーダーには安心してついていくものなのです。もっともっと飼い主さんがそういう存在になってください、とおっしゃっていました。
成程「頼れる飼い主であること」が犬のコントロールには重要であるワケだ。普段から不安を与えたりしていては頼ってくれないので、その意味でも罰で恐怖を与えてはいけないことになる。
更にもうひとつ、山本さんのお話でなるほどと思ったは、しつけが行き届いている犬は、人ひとりVS犬一頭で暮らしているケースが多いということ。なぜなら、しつけ方や対応が統一してるから(ひとりの人が100%しつけるから)。もし家族3人が様々なレベルでしいろんな対応をすれば、犬は覚えるのに3倍かかると言っていました。そりゃそうですよね、同じ行動をしてもAさんとBさんの対応が違ったら、その行動がどのくらいいいことなのか、悪いことなのか、混乱しちゃいますよね。つくづく、一貫性というのは必要だと思いました。
これは犬に限った話でもないですね。相手によって必要な対応が変わるというのは人間だって混乱する。